組織の「境界」が消える時代に ― 越境突破研究会に寄せて

AIは、私たちの社会と企業のかたちを根本から変えつつある。越境突破研究会の理念に寄せて、組織論・経営情報学、そして私の出発点である社会心理学の視点から、いくつかの古典的な理論を手がかりに、これからの企業と人材のあり方について述べてみたい。

1. 社会の変化と企業のこれからの姿 ―AIのインパクト、組織の境界の消滅―

いま社会で起きている最も大きな変化は、「組織の境界」をめぐる問題である。そもそも、なぜ市場ではなく企業という組織が存在するのか。この問いに最初に答えたのは、ロナルド・コース(※1)の古典的論文「企業の本質」(1937年)だった。市場で取引するには、相手を探し、交渉し、契約し、監視するコスト――すなわち取引コスト――がかかる。それが組織内部で調整するコストを上回るとき、人は市場ではなく組織を選ぶ。のちにオリヴァー・ウィリアムソン(※2)は、ハーバート・サイモン(※3)の「限定合理性」を踏まえ、資産の特殊性や不確実性に応じて市場と組織の境界がどこに引かれるかを精緻に理論化した。両者のコストが均衡する点に、組織の境界が定まる。内部で抱えたほうが安ければまとまり、外部に頼ったほうが安ければ切り出す――二十世紀の企業はこの均衡の上に巨大な階層組織を築いてきた。

ところが、AIの登場でこの均衡が大きく揺らいでいる。扱える情報量が桁違いになり、これまで組織の内部に人を抱えることで負担してきた調整・探索・伝達のコストが、急速に不要になりつつある。ヨハイ・ベンクラー(※4)が『The Wealth of Networks』で論じたように、協働のコストが劇的に下がれば、企業という枠を持たない分散的な生産すら成立する。中に人を置く必要も、それを束ねる社屋やオフィスの必要も薄れていく。働く場はいったんコワーキングのような中間的な場所へと「染み出し」、やがてその場すら要らなくなれば、完全にバーチャルな組織が現れる。

こうして取引コストに支えられていた境界線は安定を失い、組織は外へと漏れ出していく。すべての組織が漏れ出せば、もはや境界そのものを定義することはできない。残るのは「コア」だけだ。C・K・プラハラード(※5)とゲイリー・ハメル(※6)の「コア・コンピタンス」論が示すように、企業の本体は、模倣されにくい資源と能力の束へと凝縮していく。強固なコアがあり、その周りに、必要に応じて流動的に関わる人々がいる――企業はそうした姿へと変わっていくのである。

2. これからの価値の泉源 ―需要創出・マーケティングの時代から、オープンイノベーションへ―

時代の枠組みそのものも転換している。ピーター・ドラッカー(※7)は、事業の目的は「顧客の創造」にあり、企業の基本機能はマーケティングとイノベーションだと説いた。フィリップ・コトラー(※8)が体系化したマーケティングは、まさにいかに需要を創出し、社会を拡張していくかという、二十世紀後半の中心的な技術であった。ところが今は、いくら需要があっても供給が追いつかない、供給制約の時代である。需要側を刺激しても、売るものがなければ意味がない。問われているのは、分断された社会の中で、いかに供給の制約を踏み抜いて新たな価値を生み出すかだ。

その価値は、もはや組織の内側からは生まれにくい。安定した組織はどうしても既存の知の深化に偏り、内部の人々は均質になりやすい。しかし、ヨーゼフ・シュンペーター(※9)が喝破したとおり、イノベーションとは既存の要素の「新結合」にほかならない。新しい結合は、均質な集団の内側ではなく、境界の外側との接触から生まれる。社会関係資本の論者であるマーク・グラノヴェッター(※10)の「弱い紐帯の強さ」やロナルド・バート(※11)の「構造的空隙」が教えるのは、新鮮な情報と機会が、異なる集団を橋渡しする位置にこそ宿るという事実である。だからこそ、組織の外と手を結んで価値を生む「オープンイノベーション」が要請される。

ここで一つ、誤解を解いておきたい。「取引コスト理論は組織で閉じることを説き、オープンイノベーションは越境を説く。両者は矛盾しないのか」と問われることがある。だが、これは見かけ上の矛盾にすぎない。鍵は、取引コストが固定値ではなく、設計・操作できる変数だという点にある。ウィリアムソン自身、市場でも階層でもない「ハイブリッドな統治」を理論化していた。ヘンリー・チェスブロウ(※12)のオープンイノベーション論、カーリス・ボールドウィン(※13)のモジュール化(デザイン・ルール)論は、いずれも、信頼関係・契約・標準・プラットフォーム・橋渡し役といった仕組みが、外部連携のコストを劇的に下げることを明らかにしている。そのコスト低下こそが、組織の最適な境界を外側へと押し出す。つまり、「越境が有用なのではなく、越境のコストを下げる制度設計が有用なのだ」。これからの価値の泉源は、境界を越えた多様な知の結合の中にこそある。

3. これから求められる人材とその育成とは ―専門教育の終焉とバウンダリースパナ―

では、こうした時代に求められる人材とは何か。そして、それはどう育つのか。まず確認すべきは、これまで価値とされてきた能力の多くが、AIに置き換わるという事実である。クリティカルシンキング、MECE、図解、プレゼンテーション――専門コンサルタントが磨いてきた技術も、特定の分野を深く掘る専門家の知識も、その多くはAIが担えるようになった。深さだけでは差がつかない以上、希少になるのは、分野を越えて課題に向き合う力のほうである。マイケル・ギボンズ(※14)らが「モード2」と呼んだ知識生産――特定のディシプリンの内側ではなく、現実の課題解決を起点に文脈を横断して営まれる知の様式――が、いよいよ現実味を帯びてきた。これはイノベーションの議論とも地続きの、「超学際」的な構えである。

だとすれば、目的やゴールを先に固め、一律のカリキュラムで「イノベーション人材」を量産しようとする発想は、もはや通用しない。イノベーションは結果として生まれるものであって、計画的に作り出せるものではない。ヘンリー・ミンツバーグ(※15)が『MBAが会社を滅ぼす』で痛烈に批判したように、経営の事例を整理しメソッド化した教育は、徹底した「ハウツー」にとどまる。入山章栄(※16)が紹介する「世界標準の経営学」は、その実、論理実証主義に立つ計量的なアメリカ流の経営学であるが――ずいぶん昔に社会心理学を専門としたことのある私の目には、それは、かつてマシュマロ実験で有名なウォルター・ミシェル(※17)が特性論の限界(人は状況によって行動を変える、という「人‐状況論争」)を突きつけた、半世紀前の心理学の論争をなぞっているように映る。人間は、数値の尺度に還元しきれない。本当に必要なのは、その人の中に眠る潜在的な可能性を、正解のない現場でひらいていくことだ。

これからの人材に求められるのは、組織の看板に頼るのでも、丸腰の個人になるのでもなく、「組織のアセットを使いこなす個人」として、自分が実現したい価値を持ち、それを現場で形にする力である。そして、異なる文脈をつなぐ「バウンダリースパナー(境界連結者)」としての資質――境界連結の役割に通じる、経営視点の基礎知識、適切なマインドセット、同時性の意識、チャレンジ精神、そして翻訳力――が問われる。

その育成は、もはや企業だけが抱え込むものではない。人は学校と組織の間を往き来し(リボルビングドア)、外で得た経験を内へ持ち帰る。学校と組織が分担して人を育て、循環させていく時代である。そこでの学びは、教室の中で完結しない。ジーン・レイヴ(※18)とエティエンヌ・ウェンガー(※19)の「状況的学習」と「正統的周辺参加」、ドナルド・ショーン(※20)の「省察的実践家」、デイヴィッド・コルブ(※21)の経験学習、さらには学部の学生のおりに感銘を受けたクルト・レヴィン(※22)のアクション・リサーチが示すように、人は実践の共同体に参加し、行為の中で省察を重ねることによって育っていく。

越境突破研究会が掲げる「組織・時代・地域の境界を突破する実践者を育てる」という構想は、まさにこの理路の上にある。世話人・湯川カナ氏が体系化した冒険学習の理論は、ジャック・メジロー(※23)の「変容的学習」、パウロ・フレイレ(※24)の教育思想、イヴァン・イリッチ(※25)の脱学校論、そしてジョーゼフ・キャンベル(※26)の「英雄の旅」を統合し、目的を先に与えず、現場のただ中に身を置いて経験から学ぶことを核に据える。それは、ここで述べてきた組織と知の転換と、深く響き合うものである。越境のコストを下げ、一人ひとりの潜在可能性をひらく「装置」として、この研究会がどこまで機能できるか。一人の研究者として、その実験に大きな期待を寄せている。

プロフィール

福井 誠(ふくい まこと) 武庫川女子大学 副学長・経営学部教授/越境突破研究会 顧問

関西大学大学院社会学研究科博士課程前期修了。社会学修士、博士(人間文化学)。流通科学大学経済学部教授・副学長を経て、2020年4月より武庫川女子大学経営学部教授・学部長、現・副学長。専門は経営情報学、社会心理学。研究テーマは「オープンデータによる地域課題の可視化」など。神戸市人事委員会委員長も務める。